草野一家

草野一家(くさのいっか)は、福岡県北九州市に本部を置いた指定暴力団。後に合併され、現在の五代目工藤會となる。


略歴
草野一家総長の草野高明は、工藤玄治が率いる工藤組 (後に工藤会と改称)の若頭であった。1950年(昭和25年)に、北九州市若松区の暴力団・梶原組の組員が、工藤組草野組・草野高明組長(後の工藤會二代目)の弟を刺殺する事件が起こる。この時の事件では梶原組と草野組は手打ちせず、その後も対立が続く。昭和38年(1963年)12月8日夜、福岡県北九州市の紫川河川敷で、暴力団・三代目山口組地道組安藤組組員2人が、北九州の暴力団・工藤組組員の坂下繁貴ら数人に撲殺された。俗に言う柴川事件。これにより工藤組のナンバー2であった草野高明が服役。草野高明はその際、警察から上部への追及を逃れる為に、工藤組へ脱退を一方的に伝えた。1977年に出所した草野高明草野一家というヤクザ組織を設立した。次に草野一家工藤会は抗争を開始し、1981年には両団体のナンバー2が、たった数メートルの至近距離で銃撃戦を展開し、共に命を落とす映画さながらの事態まで至った。俗に言う堺町事件。抗争は引き分け互いに五分の形で終結。両団体のトップである工藤玄治草野高明が和解し、1987年に両団体は合併、工藤連合草野一家という統一団体が結成された。

組織図
総 長 - 草野高明
総長代行 - 天野義孝天野組組長)
若 頭 - 溝下秀男極政会会長)


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  • 最終更新:2018-06-28 11:43:51

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