稲川会の歴史

稲川会結成まで。

1949年(昭和24年)頃、横浜の綱島一家五代目、鶴岡政次郎の貸元であった稲川聖城が静岡県熱海市の山崎屋一家を継承し、稲川興業の看板を掲げた。

初代
詳細は稲川聖城を参照

二代目
1985年9月、稲川聖城が総裁に、石井隆匡が二代目会長に就任。
詳細は石井隆匡を参照

三代目
1990年6月、稲川聖城の実子稲川裕紘が三代目会長に就任。極東会住吉会と親戚縁組した。1992年6月、「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」に基づき指定暴力団として現在まで指定されている。
詳細は稲川裕紘を参照

四代目
2005年5月に稲川裕紘が病死してから会長が空席となったが、稲川裕紘が死去する直前の同年3月に編成した、実子稲川英希(英生)を本部長に、その側近を理事長に据えた新体制で組織運営を担った。
2006年5月の稲川裕紘の一周忌法要以降、定例会を二派が別々に開くなど事実上の分裂状態に陥った。同年7月19日には、横浜市の二代目山川一家池田組事務所で特別顧問・角田吉男(74歳)が四代目継承式を、熱海市の本家で本部長・稲川英希(32歳)が五代目継承式をそれぞれ同時間帯に行い、2人が会長を名乗る異常事態に陥ったが、稲川聖城が角田側の式に臨席したことも決め手となって四代目・角田で統一が図られた。
2007年5月、横浜市に「稲川会館」を建設し、盃事その他稲川会の団結のシンボルとしても機能を果たしている。
同年12月22日、稲川聖城が肺炎のため入院先の東京都内の病院で死亡した(93歳)。
2010年2月23日、角田吉男四代目が入院先の順天堂病院で、膵臓癌のため逝去。享年77。四代目体制は3年5ヶ月で幕を閉じた。

五代目
2010年3月の定例会で、執行部の総意で清田次郎理事長の五代目継承が承認された。
2010年4月6日、稲川会館で六代目山口組髙山清司若頭が後見人である司六代目の代理を、三代目浅野組串田芳明組長が取り持ち人を務めて、清田次郎五代目の継承盃を執り行われた。
理事長には内堀和也三代目山川一家総長の就任が決定した。

稲川会系譜
初 代 - 稲川聖城(初代稲川一家総長 錦政会会長 鶴政会会長 稲川組組長)
二代目 - 石井隆匡横須賀一家五代目総長)
三代目 - 稲川裕紘(二代目稲川一家総長)
四代目 - 角田吉男(五代目京葉七熊一家総長)
五代目 - 清田次郎(二代目山川一家総長)

歴代の理事長
林喜一郎(初代林一家総長)
石井隆匡(五代目横須賀一家総長)
趙春樹(五代目箱屋一家総長)
長谷川春治(九代目碑文谷一家総長)
稲川裕紘(二代目稲川一家総長)
山川修身(初代山川一家総長)
角田吉男(五代目七熊一家総長)
浅井信吾(六代目一ノ瀬一家総長)
清田次郎(二代目山川一家総長)
内堀和也(三代目山川一家総長)

稲川聖城会長時代

石井隆匡会長時代

稲川裕紘会長時代

角田吉男会長時代

清田次郎会長時代

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  • 最終更新:2017-10-07 04:55:23

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