石井隆匡

石井隆匡(いしいたかまさ、1924年1月3日生まれ)は日本のヤクザ。石井隆匡は稼業名であり石井唯博も名乗った。本名石井進稲川会二代目会長。横須賀一家五代目総長。

◆略歴
旧制鎌倉中学中退。太平洋戦争末期、横須賀の海軍通信学校をトップクラスで卒業し、当時八丈島にあった人間魚雷「回天」隊基地の英文通信兵として終戦を迎えた。

1946年 暴力団横須賀一家の門下となる。

1963年 横須賀一家五代目を継承。

1969年 巽産業を設立、企業経営志向を取り、経済進出する暴力団の先駆けとなる。

1969年 賭博事件などに関与し逮捕され、懲役5年の実刑判決を受け服役。

1972年10月 稲川一家と三代目山口組との親戚縁組の為、稲川一家理事長として山口組若頭・山本健一山健組組長)と五分の兄弟盃を交わす。

1972年12月 稲川聖城によって「稲川会」が結成されると、理事長に就任。

1978年11月 警視庁に賭博の容疑で逮捕された。そして、稲川会会長補佐に就任。

1985年 夏に神戸で行われるユニバーシアード大会を無事に行えるように、山口組一和会の抗争である山・一抗争を二ヶ月ほど休戦させる(ユニバーシアード休戦)ことに力を発揮。同年10月、稲川会の二代目会長に就任。

1986年 かねてから政商小佐野賢治のようになりたいと公言していた石井は政財界とのつながりを持ち、力を発揮した。当初、平和相互銀行の側に立っていたにもかかわらず、岸信介に頼まれると乗っ取りに協力して多くの謝礼と、平和相互銀行が持っていた岩間カントリークラブ開発の所有権を得た。

1987年2月 一和会系の白神英雄組長が射殺され、その一週間後に山・一抗争は終結。石井は山・一抗争の終結に力を見せ、その名を轟かせた。
また経済面では、岩間カントリークラブを元に東京佐川急便社長渡辺広康からの多額の資金集めに成功した石井は、1989年よりゴルフ場会員資格保証金預かり証と引き替えに野村證券・日興證券を取り引き窓口に東急電鉄株の買い占めを行い、約8億円の利益を得た。東京佐川急便事件でも暗躍した。

1990年10月 病気により引退。 稲川会会長を稲川裕紘に譲って堅気に戻った。

1991年9月3日に病死。葬儀は東京都大田区の池上本門寺で執り行われ、全国からの大親分を含める、6000人以上の参列者に見届けられた。

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  • 最終更新:2018-06-13 21:52:10

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