田中ノ啓次郎

田中ノ啓次郎は弘化元年(一八四四)国定ノ忠治乾分の田中ノ沢次郎こと新井沢吉の倅に生まれる。
幼名新井啓次郎で沢次郎の跡目を継ぐ。
啓次郎は人を危め旅に出る。
清水ノ治郎長の所に草鞋を脱ぎ、清水ノ大政こと原田政蔵に仕えたので、大政の名前を貰い新井啓次郎から原田政蔵と改名した。
啓次郎は晩年は江尻で射的屋をしていた。
隣が千畳楼(遊郭)と玉川(料亭)で相撲取りの玉ノ川元吉事高田元吉の女房で治郎長の兄佐重郎の娘満が千畳楼を経営。
啓次郎には子がなく治郎長の妻おてふの身内篠原徳次郎四歳を養子に貰い育てるが徳次郎はやくざの世界を嫌い啓次郎没後、原田家と離縁して故郷の静岡に帰り吉田町の松本家に婿入りする。
啓次郎跡目は星野福太郎が継ぐ。
清水の治郎長の義兄弟にて東海遊侠伝にもその名のある原田政蔵は静岡双街へ田中屋という引手茶屋を開業する。
明治三十年八月三日歿 行年五十三歳

  • 最終更新:2015-01-08 14:04:38

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