津田功一

津田功一(つだ こういち、1940年11月1日生まれ)は元六代目山口組若中、二代目倉本組組長。貴広会会長。暁会初代会長。五代目山口組他道府県若中。

略歴
 津田功一は1999年3月に五代目山口組若頭補佐倉本広文が率いた初代倉本組から直参に昇格、2000年3月に渡辺芳則五代目から親子盃を受けた。
 1998年9月に倉本広文が急死した際、初代倉本組の跡目問題が深刻化。候補に挙がったのは、倉本組創設時から片腕として倉本組の組織拡大に尽力した実弟分である初代倉本組副組長の津田功一(暁会会長)と、一和会本部長を務めた松本勝美率いる松美会で若頭を務め、解散後に初代倉本組に移籍して若頭を務めていた小條鎮生天道会会長)の2人。本家執行部も倉本組の存続を望んでいたが、一本化出来ずに倉本組は解散。津田功一が貴広会、小條鎮生が倉心会を結成して直参に昇格した。津田功一が率いた貴広会は初代倉本組と同じ奈良県を本拠地として地盤を守り続けた。初代倉本組の構成員は約2000人と大組織だったが、解散後は生え抜きの津田功一率いる貴広会に大部分が残留した。2005年に六代目山口組が発足すると倉本組の名跡を復活させたが、二代目に就任したのが津田功一であった。
 その後、六代目山口組若中として活躍していたが、2010年2月病気療養を理由に引退。跡目を若頭の河内敏之に譲った。

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  • 最終更新:2016-11-05 11:19:42

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