森田嘉三郎

森田嘉三郎は明治七年八月、奈良市外明治村字北永井の旧家森田金兵衛の次男に生まれる。
十六歳の頃から博奕を覚えその後油勝事中井勝治郎の若衆となり背中に児雷也の刺青があった為児雷也ノ嘉三郎と云われた。
明治三十三年、郡山町光慶寺の門前で起こった弁慶市事小西市松殺しの巻添えを食らって草鞋を履く。
伊勢から関東へ逃げ、旅から帰り明治四十年油勝事中井勝治郎の跡目を継ぎ油勝一家二代目となる。
嘉三郎の妻は中井勝治郎の娘。
兄弟分には荒金一家杉本一雄(五分)、大阪太政官前田鶴吉、千日前上村組上村勇太郎(三兄弟)、奈良酒梅組大沢卓、大西己之松、広栄太郎、宮城浅吉らがいた。
昭和五年七月歿 行年五十六年

  • 最終更新:2014-12-24 11:38:12

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