桑田兼吉
来歴
昭和14年(1939年)9月23日、生まれた。
平成元年(1989年)4月20日、山口組緊急幹部会が開かれ、山口組五代目の人選が議論された。竹中組・竹中武組長は、態度を保留した。四代目山口組若頭・渡辺芳則(山健組組長)と四代目山口組組長代行・中西一男が話し合い、中西一男が五代目山口組組長立候補を取り下げた。渡辺芳則の山口組五代目擁立が決まった。
平成2年(1990年)1月4日午後4時すぎ、札幌事件が勃発した。
詳細は札幌事件を参照
平成9年(1997年)8月28日午後3時20分ごろ、宅見若頭射殺事件が発生した。
詳細は宅見若頭射殺事件を参照
同年12月26日、東京都港区六本木の路上で、車で走行中の桑田兼吉一行が警視庁の検問を受けた。桑田謙吉の後続車両の配下組員の車から拳銃が出てきたことから、配下組員は銃砲刀剣類所持等取締法違反の現行犯で逮捕された。桑田兼吉は拳銃の共同所持容疑で現行犯逮捕された。
平成10年(1998年)1月、桑田兼吉は共同共謀正犯の罪で起訴された。検察は、桑田兼吉に懲役10年を求刑した。
平成12年(2000年)3月6日、桑田兼吉は東京地方裁判所で懲役7年の判決を受けた。桑田兼吉は、即日控訴した。
平成13年(2001年)10月16日、東京高等裁判所は共謀の成立を認定し、控訴を棄却した。桑田兼吉は最高裁判所に上告した。
平成15年(2003年)5月1日、最高裁判所第1小法廷(横尾和子裁判長)は、上告棄却の決定をした。これにより、桑田兼吉の懲役7年の実刑が確定した。未決勾留日数を差し引くと、約5年3ヶ月の服役となった。このとき、桑田兼吉は、長期勾留により持病の悪化などで、拘置の執行停止を受けて、入院中だった。
同年7月、桑田兼吉は事故に遭って、重傷を負った。このため、桑田兼吉の収監が見合わされた。
平成16年(2004年)3月23日、桑田兼吉は東京拘置所に収監された。
平成19年(2007年)3月15日、桑田兼吉は、病気により刑の執行が停止されて、釈放され、病院に入院した。
同年4月5日、桑田兼吉は大阪市内の病院で死去した。
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- 最終更新:2009-07-06 06:31:04






