山健組
歴史
1961年、三代目山口組(組長・田岡一雄)の若衆・山本健一が結成した。 山本は その後、山口組若頭補佐に就任し、1971年に山口組若頭・梶原清晴(梶原組組長)が海難事故で急逝すると、その後任に就任した。 その際、山本健一と、同じく若頭補佐の山本 広(山広組組長)による決選投票が行われ一度は山本 広に決められるが、山本健一の直訴により田岡から山本健一が指名された。 田岡の山本健一への寵愛ぶりは有名で、山本健一死後も、その遺志をふまえて、1984年に四代目山口組組長に就任した竹中正久は、直参昇格間もない2代目組長・渡辺芳則を異例の早さで若頭補佐に抜擢した。 翌85年、竹中と共に山口組若頭・中山勝正(豪友会会長)が暗殺されると、渡辺は後任若頭に就任した。
1989年に渡辺が五代目山口組組長に就任すると、三代目山健組を継承した桑田兼吉の他、中野会会長・中野太郎ら最高幹部10人が同年のうちに山口組本家直参へ昇格、翌90年には桑田と中野が山口組若頭補佐に就任して山健組を磐石なものにし、最大派閥へと押し上げた。
2003年、桑田の懲役7年の判決が確定すると、若頭・橋本弘文(極心連合会会長)を組長代行に昇格させ、四代目健竜会会長・井上邦雄を後任若頭とする組織改編を行った。 2005年、橋本と、前舎弟頭の相談役・太田守正(太田会会長)が本家直参へ昇格し、橋本は山口組若頭補佐に就任した。
2005年、六代目山口組(組長・司 忍)が発足すると、若頭・井上邦雄が4代目を継承。 井上は山口組幹部(「幹部」という名称の役職)に就任した。 同年11月、舎弟頭・木村阪喜(木村會会長)と舎弟頭補佐・森尾卯太郎(大同会会長)が本家直参へ昇格。 2005年12月、井上は山口組若頭補佐兼阪神ブロック長に就任した。
なお、余談ではあるが全国のテキヤ(香具師)に非公認タレントグッズ等を卸している元締めでもある。
歴代組長
最高幹部
舎弟頭補佐 - 山内昭人
舎弟
若中
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- 最終更新:2009-11-22 14:53:04






