古河ノ多三朗

宝田多三郎は、本名宝田多惣次で天保六年(一八三五)総和町上辺見の農家惣吉の倅に生まれる。
二十五、六歳の頃、辺見の貞蔵の若衆越後の彫常の若衆となり、総和町柳橋に住むがすぐ諸川宿の貸元森田龍助の跡目となり諸川に移る。
明治の初め旅に出る。
始めは信州の屋代へ行き、屋代の多三郎で顔をうる、後に信州松本へ行き、間之川一家旅人の燕の喜三郎こと鈴木喜三郎と生井一家の半七の三人で斎藤一家に草鞋をぬぎ兄弟分となり、当時枯れかかった斎藤一家の勢力を取り戻した。そして越後に帰郷した親分の彫常を頼り越後高田に住んで居たが、明治二十六、七年頃、間之川一家若林釜内、同一家高橋啓助(後の長野 畑中の貸元)、青木作太郎、森寺森之助の四人をつれて二十数年と言う長旅から故郷に立帰り古河に家を構え生井一家古河三代目を継ぐ。
多三郎跡目は大場平次が継ぐ。
明治三十七年二月二十三日歿 行年六十九歳

  • 最終更新:2014-12-15 15:24:40

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