初代源清田会

源清田会(げんせいだかい)はかつて新潟県長岡市に本拠地を置いた日本の暴力団で、五代目山口組の二次団体。構成員は約600人(五代目山口組加入後)。
江口会長の引退により解散。
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歴史 
源清田の発祥は茨城県の源清田村(現、河内町源清田)。
源清田の始祖は山本弥八氏とされ代々源清田を名乗った。
源清田の山本音二郎氏は徳川時代の水戸藩の隠密の目明しをしていた。
その関係で任務遂行の為に北海道から関東(江戸)を行き来しており、隠密として時にはテキヤに化けたり、時には猿回しに化けたりと行動していた。
方々で縁や若い衆をもつことが多く、長い歴史の過程で源清田一派は関東甲信越・東北・北海道を中心に中部・東海地方まで属す者が多数いた。


1961年に山口組が全国制覇を目指し興業面でも大きく動きだし日本横断興業を行った。その際、新潟県に広域指定暴力団を入れないという目的で、「ことある場合は一致団結して対処しよう」、「互いに侵さず侵されず」を鉄則に防波堤として新潟県に一本独鈷として構える地元組織らによる親睦団体の侠友会ができ、のちの新潟県新和会となる。

トップクラスの組織を誇る全国の源清田一派で集合された大連合体である全日本源清田連合会の中のでも貴重な位置を占める島影同族会と根岸親族会、塚本親睦会の3派の本拠地は新潟県にあった。
3派の支部は北海道、東北、北陸、関東に及んだ時期もあった。

島影同族会(島影会)、根岸親族会(根岸会)、塚本親睦会(塚本会)の一部が合流し1991年5月8日に結成した組織が源清田会

3派のうち島影が塚本・根岸よりも後に源清田として縁をもつことになったのだが、島影が新潟県の中では他の2派よりもさらに歴史が古い老舗であったことから島影同族会々長、島影宗家七代目の江口光一が他の2派の承諾を得て源清田会々長となる。
源清田会は五代目山口組に若中として加入。

島影二代目島影清次郎氏と実子の三条会々長 島影鷲広氏が島影興業株式会社を作り、演芸大会、歌謡大会、プロレス、相撲、サーカス、映画館、遊技場と興業に力を入れていた。

興行師の柴田隆英と一緒に柴田サーカスやクラブの事業運営を行っていた。
柴田サーカスは廃業後、一部の団員は渡世の道に入り新潟県新発田市に柴田一家を興す。

新潟の源清田一派が山口組と縁をもった経緯は、プロレスラーの力道山が、当時の建設大臣の仲立ちで結婚式を挙げた際、島影の二代目や塚本、根岸の親分が招待され、そこで三代目山口組の田岡会長と顔を合わせ、互いの縄張りや利権について意見交換をし交流が深まる。

また島影一派の初代塩原組の塩原天平氏が前橋刑務所で後の後藤組組長の後藤忠政組長と同房だったことから後藤氏の親分の三代目山口組伊堂組伊堂敏雄氏とも知己の中となり、そのことも源清田会の山口組加入の後押しをした。

昭和50年代後半には北海道の札幌の源清田塚本に対し三代目山口組内大平組(尼崎)が先代の塚本時次郎氏の死後、 二代目の跡目問題に入って大平組が後押しした塚本会の菅原昌信氏に跡目を継がして源清田から塚本会ごと大平組も引き抜こうとした事で全日本源清田連合会と大平組、他の抗争が勃発した。
塚本より菅原一門は離脱し大平組へ移籍した。
それもきっかけの一つとされている。

過去には三代目山口組柳川組や他の山口組直系組織と源清田一派は抗争や小競り合いが多発していたが、以上の経緯で源清田の島影、根岸、塚本は山口組と親睦を深めていくこととなる。

当時、新和会の抵抗により山口組は新潟県へ上陸していなかったが、島影、根岸、塚本が合流した源清田会の山口組加入を機に代紋を掲げることになる。源清田一派の離脱により新和会は解散。

島影・根岸・塚本のそれぞれの系列には傘下の組織が多数あったが、江口光一会長と3派の親分衆の合意人選により源清田会の執行部を作り五代目山口組に加入した。

源清田会の会長には島影一派から島影宗家七代目の江口光一氏が就く。根岸一派からは源清田連合会本部長、野崎勇(根岸二代目)の系譜にあたる早川清氏が新たに早川組を作り源清田会若頭に就く。源清田会舎弟頭に島影系の金子組金子晃氏、塚本から新たに大心会を作り源清田会本部長として大堀光雄氏という布陣で山口組に加入した。
この布陣で加入することに異を唱え源清田から脱会する者もいて、異を唱えた者はその後、五代目山口組の三次団体博豪会として五代目山口組近松組の傘下として加入。

同時期、他の都道府県の全日本源清田連合会の源清田一派は稲川会、住吉会、山口組の三次団体に各々の縁により移籍、吸収されていき、全日本源清田連合会は消滅した。

2005年6月6日に江口光一会長が病気により引退し跡目継承されず源清田会は解散する。
解散後の傘下組織は、本部通達により芳菱会後藤組のそれぞれの傘下となった。

源清田に関連する組織はこちら)
島影会塚本会根岸会についてはこちら)
全日本源清田連合会についてはこちら)


最高幹部(源清田会の解散直前の組織)

会 長 - 江口光一(五代目山口組若中)  
若 頭 - 早川 清早川組組長)  
舎弟頭 - 金子 晃金子組組長)  
本部長 - 大堀光雄大心会会長)  
若頭補佐 - 岡田 徹獅堂組組長)
若頭補佐 - 相田和男光和組組長)
若頭補佐 - 安田 謙(二代目佐々木組組長)
若頭補佐 - 高野徳四郎(二代目塩原組組長)
舎弟頭補佐 - 早川 浩秋田早川組組長)
事務局長 - 和田 守(根岸桑原三代目分家)


その他の傘下組織
渡邉会 - 解散


二代目源清田会



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  • 最終更新:2017-05-26 17:22:35

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