住吉一家

住吉一家(すみよしいっか)は、初代総長である伊藤松五郎が、東京日本橋住吉町で生まれた事から、地名を一家名に冠したと言われている。歴史の古い団体で、明治初期、初代、伊藤松五郎が東京芝浦一帯を縄張りとして結成した博徒組織で、「住吉一家」がその前身としている。

略歴
住吉一家」の唱える系譜では住吉町の爺さんと呼ばれた伊藤松五郎が初代となっている(異説あり)。異説としての理由が、住吉一家の祖である堀内豊次郎、その跡目の五十嵐傳次郎は大口惣八を住吉一家の跡目にしようと相談したが、大口は断り伊東松五郎を推薦したので、伊藤松五郎住吉一家初代となった、実はこの様な理由があったらしいからである。二代目を中里一家の出身で「今大前田」と呼ばれた倉持直吉(本名は荏田村秀)が継承。住吉一家の客分でもあり港湾実業家で、洲崎の武部申策をオヤジと呼んだ芝浦の高木康太の代貸であった阿部重作が、1948年に三代目を継承した。四代目には、松葉会上萬一家の錦糸町一円貸元であった磧上会磧上義光を跡目養子とし1962年、四代目を継承。1967年、中里一家四代目・堀政夫が五代目を継承。 堀は1982年、住吉連合代表住吉一家五代目総長から「住吉連合会」に改組して会長に就任。 1988年には同会総裁に昇格するが、1990年10月に病死した。1991年2月、住吉一家向後二代目・西口茂男が六代目を継承し、住吉連合会を「住吉会」に改称して会長に就任。 1998年6月、西口が住吉会総裁に昇格。2005年4月17日、住吉会会長・福田晴瞭が七代目を継承。

住吉一家系譜
初 代 - 伊藤松五郎
二代目 - 倉持直吉(初代中里一家若衆)
三代目 - 阿部重作港会初代会長)
四代目 - 磧上義光港会二代目 旧住吉会会長 磧上会会長)
五代目 - 堀政夫住吉連合代表 住吉連合会総裁 中里一家五代目)
六代目 - 西口茂男住吉会総裁 向後二代目)
七代目 - 福田晴瞭住吉会会長 小林会二代目)

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  • 最終更新:2018-05-26 21:20:30

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